エンディングダイアリー

私のこと、ときどきアイドル。

月の影

酒、タバコ、ギャンブル、借金、女癖、暴力。想像したくはないが、もしかしたら推しにもそんな一面があるのかな....なんて考えていたら落ち込んでしまった。*1

 

某事務所のタレント達の素行の悪さが次々暴かれていったり某銭湯アイドルのDV問題が騒がれたりする中で、もし彼が当事者になったらどうしたらいいんだろう、とうっすら想像してみる。きっとそんな本性が露見した時点で応援できなくなる。推すことをやめる以外考えつかない。毎日推しのことばかり考えて生きている私にとっては恐怖でしかない。

 

まるでお殿様のような父親*2の元で育ったからなのか、モラハラや、虐待の事件に異様なほど過敏になる。バラエティ番組から男尊女卑的な空気を感じると見ているのがつらくて消してしまう。もしもこの先ご縁があって男女交際、或いは結婚する機会があったなら、慎重に相手を見極めなきゃなと思う。*3

 

心の平穏を保つ為に嫌いな芸能人をリストアップしてその人が出ている番組を避けるようにしているんだけど、嫌いな男性芸能人の多さに笑えてくるんだよ。8割は男。

そのリストに大好きな推しの名前を書く日が来ませんように、と願うばかり。

 

 

*1:お酒とタバコを嗜んでいることは知っているし特に否定もしません

*2:ソフトに表現しています

*3:基本的に恋愛に対しては後ろ向きな考えしか持てない

ねぇ聞いて ステキな恋をしてるの

メールやLINE、SNSなど、様々な便利ツールが発展していく中で、私は未だに手紙というアナログツールが好きである。

 

とりわけファンレターというものは、遠くで輝く愛しい存在の推しを想定してしたためる大切な手紙。恋文とは似て異なる、しかし書く側にとってはかなりの労力を要する行為。それこそ、ラブレターを書いているような気分になる。

応援する気持ちを伝える手段としてはTwitterのリプライやインスタのコメント欄なんかもあるけれど、手書きの文章の温度感は手紙ならではのものだし、何より自分の想いはきちんと一対一で伝えたい。

 

しかし、ファンレターを出すときは決まって「読まれたいけど読まれたくない」「読まれていないと考えていた方が心が楽」など、とても複雑で矛盾だらけな気持ちを抱える。
もちろん書いている間は、ちゃんと相手に読まれる前提で心を込めて文を綴る。決して失礼のないよう丁寧な文字で、便箋はなるべく2〜3枚におさめ、だらだら書かないよう心掛ける。そして、ファンとしてのありったけの愛を込めるよう努めているつもりだ。


ただ、私の推しは忙しい人である。手紙なんていくら書いても彼には読んでもらえないだろう。それ以前に未開封のまま捨てられている可能性すらあるが、その方がかえって好都合かもしれない。読まれたら恥ずかしいし、向こうだって全く見ず知らずの人間からの手紙なんて、貰っても困るだけなんじゃないか?

私が書いた自己満足のファンレターは、誰にも読まれずにそっと処分されるのがお似合いだ。
 
 

 


 
 
最近の、とあるインタビュー記事にて。

 

会いに来てくれた方からのお手紙には「幸せをいっぱいありがとうございました」という感想が沢山ありましたが、

 

 

 

 

 

 


え?
 
 
え!?うそ!!!読んでる!? 手紙ってちゃんと読むんだ...読まれてるんだ....
 
 
 あの日、プレゼントBOXには沢山の手紙が入っていた。当たり前だが私の手紙はそのうちの一通でしかなくて、肝心の内容も当たり障りのないことばかり。一年を通してひっきりなしにファンレターが届くであろう彼の記憶には、例え読まれていたとしても私の想いなんてこれっぽっちも残るはずがない。

 

でも、読まれた可能性があるということは素直に嬉しくて、やっぱりめちゃくちゃ恥ずかしくて、いっそ死んでしまいたいくらいだ......。

 

レターセット、もう少し可愛い柄にしておけばよかった。ハンズのレターセットコーナーで一時間近くひたすら悩んで選んだのに....。

切手も、はらぺこあおむしは正直ちょっと微妙だったかなぁ。

 

彼は、推しは、私が綴った一方的な愛の手紙を読んで、どう思ったんだろう。

瞬間的にでも嬉しいと感じてくれていたら私も嬉しい。

けれど、でも、うーん......

 

今後の為にユーキャンのボールペン字講座でも始めようかな...。

 
 

ラブレター (M@STER VERSION)

ラブレター (M@STER VERSION)


 

クッッッソーーーー死にてぇなーーーーーと思いながら生きる為に求人サイトを眺めている矛盾。

 

昔言われた言葉を時々思い出してはまた傷付き、お風呂や布団の中でひたすらしくしく泣いて、年明けてからもそんなことばっかり。2019年、何も変わらない。


夢ってなんだよ希望ってなんだよ。自尊心ボコボコにされてどん底の底の底まで突き落とされてんのにそれでも尚夢を見ろと?どんな無茶だよ。将来に希望もクソもないんで!!絶望の日々なんで!!!!!!

 

「年1くらいで推しに会うのが夢」なんて言ったらどんな顔したんだろうな。ドン引きだろうな。でも八割くらい本当の話だよ、これ。

 

 

さて、今年の目標は親をミュージカルの観劇へ連れていくことです。
てっきり私の母はミュージカルとか嫌いな人なんだと思ってたので「行ってみたい」と言われたときは正直驚きました。

私もミュージカルに興味を持ち始めたのはほんの数年前のことで、まだまだ知識も乏しいし、「観劇が趣味」と言うのはおこがましいくらいだけど、一生に一度は舞台へ足を運んでみてほしいと思っている。興味があるならば尚更。

 

やっぱり一緒にいられるうちに何かしておきたいよ。

その為に、その為に、レッツ職探し!!!

悲しみのプログラム 2018

 

 「悲しみというものは、生き残るための本能なんだよ。だから辛い時にじっとして、なんにも手につかなくなるのは、決して君のせいではない。」

 
好きな言葉。今年図書館で借りて読んだ本に出てきた。
夢とか希望を歌うJ-POPよりこういう小説の中に出てくる言葉の方がスッと心に入ってくる。何も出来ないと落ち込んでばかりの自分に寄り添ってくれるみたいで、嬉しくてあったかい。


最近はアルバイトの面接でも将来の夢や目標を聞くんだね。「生活の為にお金が必要だから」って理由だけで働こうとした私はきっと不採用だね。

 

私の日記、一体誰が見てんの?怖い あとすごく恥ずかしい 読んでいて楽しいですか?と聞きたい気持ちでこれを書いている。います。楽しいですか?

 

今回は年内最後の記事になる予定なのでなるべく明るい内容にしたいと思っていましたが無理そうです。これじゃいつも通りだね。2019年も多分ずっとこんな調子でいくと思いますがよろしくお願いします。

 

少女には向かない職業 (創元推理文庫)

少女には向かない職業 (創元推理文庫)

 

 

気持ちに全部蓋ができたらいいのに

 

友達に嫌われるのが怖かった小学校時代、友達なんかいらないと強がっていた中学生時代、無理に明るく振る舞って空回りした高校生時代。全部つらかったな...悲しかったな....と、ぼんやり考えていた。


気が付けばもう成人していて、肩書きだけは充分大人である。でも中身は子供のまま何も変わってない。寂しいとき、素直に寂しいといえなくて、無理に笑っていても誰も気付かないことにいい加減気付いたほうがいい。


私は多分、人一倍愛されたいという欲が強い。とにかく自分宛の愛が欲しくて、愛される為に誰かに愛をぽこぽこ投げつけては、それが一方的だと気付いたときにはやり場のない虚しさや怒りや悲しみに支配されてどうしようもなくなる。

 

小学校中学年くらいの頃から、友達と遊ぶことがだんだん減った。友達と遊ぶより家でゆっくり過ごす時間が好きだと気付いたから。
放課後に約束した待ち合わせ場所に私が行くと、お前も来たのかよって顔をされる。私以外の友達で集まって遊んだ日の次の登校日では、みんなの結束力が高まっている気がして、なんとなくその場に居づらかった。交換日記が流行った頃、私を除いたメンバー間で交換日記をしていると知って、とてもショックだった。
そのうち何かと理由をつけて遊びの誘いを断ることが多くなった。孤独より集団の中での疎外の方がずっとずっと怖かった。断る口実として小さな嘘も沢山ついてきた。

 

今現在、私が遊ぼうと誘えば遊んでくれる友人が、僅かながらいる。とてもありがたいことだ。ありがたいことだけど、実際はあんまり会わない。

私の友達はとっても優しい人達だから、きっと昔の友達みたいに私のことをぞんざいに扱うようなことは絶対しない。だけど一生途切れない絆なんて私は存在しないと思っている。ずっと好かれている自信がない。今いる友達も、きっといつかは離れていくんだろう。友達と遊んだ日は必ず「会えるのは今日が最後になるのかも」と考えてすごく不安になる。

 

焦燥感、嫉妬の気持ち、愛される自信のなさは、きっと雰囲気に滲み出ているんだろうなと思う。だから人が近付かないし、たとえ仲良くなったとしても離れていく。私はずっとひとりぼっちだ。

怖い。怖い。このままじゃ私の人生最期の時までずっと一人きりのような気がしてすごく怖くなった。

ずっと一人って、単に恋人がいないとかじゃない。私の周りには人がいない。本当の意味での孤独だ。

「寂しい」と、気軽にぽつり、呟けるような人間がそばに居てくれたら、どんなに嬉しいことだろう。

そういう優しい人に対して私は求めすぎるから、傲慢になっていく自分が怖くて、また距離を置いてしまう。